「利己心で相手を押さえつけてはダメ」という話

「え?自分勝手はダメってことでしょ?そんなのわかってるよ」

そんな声が聞こえてきそうなタイトルをつけてしまった。

「利己心」「自分勝手」

こういった言葉は自分には関係ないと思われる方がほとんどだと思う。

だが意図的にではなくとも、無意識的に同じようなことをしてしまっている人はいる。

この記事を書いている私も例外ではない。

だから自戒の念も込めて、書いておこうと思う。

自分本位で相手とコミュニケーションを取っていないか

知らず知らずのうちに、自分本位な期待を相手に投げかけていないか

そんなことを再確認するキッカケとして一読いただければ嬉しい。とっても。

人は誰しも自分勝手と言うつもりはないが、少なくとも「自分の目線」を中心として相手とコミュニケーションを取る生き物である。

自分を中心として当たり前だし、自分の見えている世界でしか物事を語れないのも当たり前だ。

ただ、それゆえに相手を置き去りにしてしまうこともある。

「○○って知ってるよね?」

こんな会話が生まれる場面は危険だ。

仕事の上司と部下の関係のように、知っていて当たり前のこと、期待を込めて知っておいて欲しい時によく見かける。

部下が知っていれば何も問題ないが、知らなければ相手を置き去りにしてしまう。

みんなが「いや、知らないです」と言えればいいが、空気超重視型社会の日本でそれが出来る人は今も少数派だろう。

相手の目線をくみ取ったコミュニケーションが出来れば、パワハラなんて言葉すら存在しないはずだ。

自分が相手に抱く期待を伝えることも育成の場面においては重要だと思う。

ただ、行き過ぎてしまうと自分の理想を振りかざし、相手の自由や意志を奪っていることにもなりかねないので注意したい。

結局相手の心の中は見えないので、丁寧なコミュニケーションを心掛けていたとしても、往々にして何かしらの「ズレ」が生じることは十分にあり得る。

人材育成に限った話ではないが、それほどまでにコミュニケーションは難しい。

解決策を明確に示すことはできないが、一つだけ言えることがある。

それは「相手とのコミュニケーションの中で、自分本位になっていないか?」と自問することが何よりも大切になるということだ。

相手が実際に何を思い、何を考えているかなんてわからない。

それでも、同じ土俵に立っているのか、地図を広げて同じ目的地を共有出来ているのかを確認する努力は、積極的にした方がいいと思っている。

意識的な話だが、こういった確認が取れるようになるだけで、相手は孤独な状態から解放される。

「ここに向かって一緒に進んでいけばいいのか」

そんな想いを持ってもらえば、コミュニケーションもしやすくなるし、お互いのパフォーマンスも向上していく。

「言葉にしなくてもわかってもらえるだろう」というのは、ただの怠慢だ。

立場にもよるが、リーダーなら相手としっかり向き合い地図を共有すべきだし、家族や恋人などのパートナーが相手でも、相手と同じ景色を見ているかは確認した方が良い。

無意識的な言動で相手を傷つけていないか。

悪い習慣やクセになっていないか。

今一度、考えてみたい。

編集後記

最後まで読んで頂きまして、ありがとうございました。

今回は利己心がもたらす影響をコミュニケーションの面からとらえて記事にしてみました。

別に利己心という言葉を使う必要もなかったのですが、無意識的な言動が結局は利己的な行為と同じと思われるケースは少なくないと感じ、こんなタイトルになりました。

「無意識」というのは結構こわいもので、意図しない形で相手に伝わってしまうことがあります。

相手に期待しているからこそ、自分本位になってしまうこともあります。

自分本位すべてが悪いという話でもありませんが、自分を客観視する手段として「自分本位になっていないか?」「相手と同じ地図を共有しているか?」といった自問をたまにはしてみてください。

特に相手との関係がうまくいっていない場合には、何かしらの見直しが必要です。

いつでも誰とでも、お互い気持ちのいいコミュニケーションを取れるようにしたいものですね。

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「過去の自分を超える方法」の話

先日、過去の自分を超えようという記事を書いた。

今回はその続編だ。

誰も期待していなかったと思うが、書きたいので書いていく。

前回の記事では「心が成長を望む合図を出したら、その時こそ過去の自分を超えるチャンス」といった内容を紹介してきた。

今回の記事では、具体的に「どうやって過去の自分を超えればいいのか」といったノウハウ的な側面に着目していきたい。

「過去の自分を超える方法を教えてください」

もしこんなお悩み相談をされたら、読者の方はどう対応するだろうか?

こういう相談を受けた際には「そんなの自分で考えてくれ」と思わずに、親身に相手の立場になって一緒に考えることが大切だ。

過去の自分を超える方法にはいくつかあるが、正解はない。

まずこれを大前提として示しておこう。

そして今回紹介するノウハウも、その方法の一つに過ぎないという点を強調しておきたい。

これは自分に保険をかける意味ではなく、「これさえやればいい」といった思考停止に陥る人を少しでも減らすためのアラートだ。

これを踏まえた上で紹介していく。

私が考える過去の自分を超えていく方法として「ソーシャルネットワークでの情報発信」がある。

ここでいうソーシャルネットワークとは、SNSやYoutube、LINE、ブログ、noteといったWeb上で発信できる広義のWebツール全般を示している。

よくわからなければ「SNS+α」くらいに思って頂ければいい。以下ではSNSでの情報発信と記載していく。

なぜSNSでの情報発信が過去の自分を超える方法になるのか?

それは、発信し続けることで「インプット」と「アウトプット」が強化されるためだ。

毎日投稿し続けているとわかるが、ネタやストックがなくなってくる。

そのため、日々新しい知識を吸収したり、思考を働かせ新たな知見や自分なりの発見を得るというインプット作業が必要不可欠になる。

そして、自分の頭の中をカタチにして言語化することで、思考の整理やインプットした知識の融合を図ることができる。

アウトプット作業をすることで脳内がクリアになり、自分の言葉が磨かれ、表面的な知識が本質的な知識へと変容・蓄積されていくのだ。

こういったインプットとアウトプットの両サイドを磨ける優れた方法が「SNSでの情報発信」ということになる。

私もInstagramを中心に毎日ノウハウ系の発信をしているが、よくこんな質問をされる。


どうしてネタが尽きないのですか?

無料でノウハウ発信して損をしないのですか?


1つ目の質問に答えよう。

質問の答えは「毎日インプットし続けている」からだ。

私は日頃、個人や法人のお客様に対する成長支援の仕事をしている。

そのため、自分自身が日々成長する必要があり、目指したい将来のために自分なりのルーティンを構築して成長を仕組み化している。

ネタというか、発信の仕方に頭を悩ませることはあるが、発信したいことはたくさんある。

2つ目の質問もよく頂く内容だ。

言いたいことはよくわかる。

過去の自分も、ノウハウ提供の見返りとしてお金は頂くべきと考えていた時期もあったからだ。

だが今では惜しみなく発信するようにしている。

その理由は2つ


【理由①】誰かの役に立ちたいと思っているから

【理由②】有料ノウハウはより高付加価値だから


私の根本には「みんなが頑張っている時こそ応援したい」というマインドがある。

そのためか、間接的にでも誰かの役に立てればそれだけで嬉しいのだ。

目線が自分ではなく相手側にあるため、損をするといった感覚自体が薄れている。

そして、無料ノウハウ以上の価値を持つノウハウを持っているという自負がある。

簡単にいうと、ここまでは無料で見せられるけど、ここから先は有料だよといった境界線がある。

目線を自分に移した上で「損をしないか」という問いを考察すると、こういった境界線が明確にあるから損をしている感覚はないのかもしれない。

ただ本当に応援したい人に出会った時は、境界線を超えることも日常茶飯事だったりする。

やはり「頑張っている時こそ応援したい」というマインドの方が強く働くようだ。

「過去の自分を超える方法を教えてください」

この問いに対する私の答えは「SNSで発信し続けるとなる。

自分の価値を高めるための手段と考えれば、誰であってもSNSで発信する意義は大きい。

特に法人経営者の方であれば(必須ではないものの)代表の顔を売ることも時には大切となる。

最近は経営者×ブロガーで発信しているたなさんに影響を受けている私である。

少しでも成長を切望される方がいれば、情報の発信を始めてみてもらいたい。

心から応援している。

編集後記

最後まで読んで頂きまして、ありがとうございました。

今回は前回の続きとして、過去の自分を超えるノウハウについて紹介してきました。

ノウハウというと大げさなような気もしますが、あくまで手段の一つです。

今回の記事に限らず、世の中には「絶対の方法」などほぼ存在しないと思っています。

自分がいいなと感じたものは取り入れ、ビミョーだなと思ったものは捨て去る。

そういったプロセスを経て、自分のカタチを作ってみてください。

情報発信が得意な方も苦手な方もいるかと思います。

僕自身も苦手な方でした。

ですが、コツコツ続け、考え続けることで少しずつ変化は起こってきます。

変化が起これば成長を実感し、毎日が充実してきます。

今を変えるアイデアの一つとして、ぜひ取り入れてみてください。

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二人三脚で頑張りたい方にはおすすめです。

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「過去の自分を超えよう」という話

もし、昨日の自分と勝負をしたら勝てるだろうか?

もし、全盛期の自分と勝負をしたら勝てるだろうか?

今日はこんな話をしていこうと思う。

勝負といっても何も殴り合うことではない。

自分が得意とする分野、頑張っている分野で勝負をしたら勝てるかという話だ。

こういう話をすると、

「人生勝ち負けじゃないよ」

そんな声が聞こえてきそうだが、ちょっと感覚が違う。

確かに、他人と比べて人生の優劣を決めようとする行為は愚かだ。

ただ今回は他人ではなく「自分」と比べている。

自分を鼓舞するために、自分を成長させるために「過去の自分」と比べている。

別に「毎日休まず成長し続けなければならない」という話をしたいわけでもない。

時にはゆっくり休んで、自分の体力を回復させることも大切だ。

ただ、しばらく休んだら心がザワザワしてくるはずだ。「このままで良いの?」と、脳内再生される声は違えど、誰もが「成長欲」にかきたてられる。

ちなみに私は(タラレバ娘の影響だが)Perfumeのあーちゃんの声で再生されている。

そんなザワザワを感じた時は、まさに心が成長したがっている証拠と言える。

そんな時こそ、自分の心の声に応えて欲しい。

そして、冒頭のような問いを考えて欲しい。

何をすべきかは読者の方だけが知っている。

今は見えていないだけかもしれないが、みんなの中に必ず存在している。

自分が目指すべき方向を定めて、突き進む。

そういったことを繰り返して、過去の自分を超えていって欲しい。

過去の自分を超えているという実感が生まれれば、毎日が楽しくなる。

「うわー今日は昨日の自分に勝てなかったぜ、くやぴーまん!」

こんなやり取りを自分の中で出来るようになれば、大したものだ。

補足しておかないと大変なことになりそうなのでお伝えするが「くやぴーまん」は昨日、YouTubeでゲーム配信もしているHey Say Jumpの山田涼介さんが言っていた言葉だ。

悔しいとピーマンの造語だろうが、とっさに浮かぶ単語のチョイスはさすがだ。くやしいたけ!だとなんだか語呂が悪いというか、私が言うと余計痛みを感じてしまう。

同性ながら、アイドルというのは本当にすごいなと実感した日でもあった。

さて、話が脱線してきたのでそろそろまとめに入りたいと思う。

成長を切望するタイミングには個人差がある。

10年後かもしれないし、1年後かもしれないし、まさに「今」かもしれない。

いずれにせよ、成長の声が聞こえたら抑えつけないで頂きたい。

無理なことでも、実現したい未来があるなら挑戦して欲しい。

前に向かって突き進んでいれば、必ず過去の自分は超えられる。

自分史上、最高の自分になれれば、自分のことが好きでたまらなくなる。

そんな自分を目指して欲しい。

編集後記

最後まで読んで頂きまして、ありがとうございました。

今回は成長をテーマに「過去の自分を超える」という記事を書いてみました。

人は、休まずに走り続けることはできません。

走り続けていると、疲れ切ってしまい、そこから動けなくなってしまうこともあります。

きっかけやタイミングは人それぞれでしょうが、休み続けていると心が訴えかけてきます。

「このままで良いの?」と。

言葉は違うかもしれませんが、成長を切望する兆しを感じたら、ぜひトライしてみてください。

もがいてもいいと思います。

とにかく考えて、行動を起こして、過去の自分を超えてみてください。

「一人では考えられないし、モチベーションが続かない」といった方であれば、僕が個人や法人向けにお届けしているONE Growthというサービスをのぞいてみてください。

時間は有限。あれこれ悩むよりも、まずは一歩踏み出してみましょう。

きっと世界が広がるはずです。

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「10のgoodと1のbad」の話

「10の高評価と1の低評価をもらった」

読者の方だったら、このシチュエーションに心はどう反応されるだろうか?

YouTubeで動画をあげた後の視聴者からの反応、そんな風にイメージして頂きたい。

感じ方は人によって様々だと思う。

ポジティブ勢の心の中を紐解くとこんな感じだろうか。


ポジティブ勢

10の高評価うれしい!1の低評価なんて気にしない

1の低評価は意見として改善していこう!


ポジティブだ。高評価を1つあげたいと思う。

一方のネガティブ勢の心の中はこのようになっているかもしれない。


ネガティブ勢

1の低評価が気になって仕方ない

自分の何がいけないのだろうか


本記事ではポジティブとの対比であえて「ネガティブ」と表記しているが、決して悪い意味ではない。

ポジティブに解釈できるか、ネガティブに解釈してしまうかは、ある種ひとりひとりのパーソナリティによって変わるのだから、優劣など存在しない。

ただ、メンタルヘルス(心の健康)という観点で言えば、ポジティブでいた方が望ましいのは確かだろう。

なぜこんな話をしているのか?

実はこれ、YouTube活動を5年ほどしている知り合いの話が元ネタになっている。

彼の名前をYさんとしよう。Yさんは明らかにネガティブ勢。

「10の評価に感謝はするけど、1が気になって仕方がない」そうなのだ。

多くの人は彼に「気にしなくていいよ」と言うらしい。

そんなこと本人は百も承知で、それが出来れば苦労などしていないだろう。

金づちの人に「大丈夫、泳げるよ!」と励ましている、あるいは、引きこもりで外に出たくない人に「大丈夫、外に行こうよ!」と言っているような感じだろうか。

おそらく気にしなくていいよと言える人は、以下のどちらかかと思う。


気にしないでいられるポジティブマインドの方

評価の重みが「均等」だと思っている方


この先では、後者の評価の重みについてお伝えしていきたい。

重みというのは、その人の心に与えるインパクト(影響)という意味だ。

例えば、高評価をもらえば「+1」、低評価をもらえば「▲10」といったような働きが心に作用するという風に理解して頂きたい。この数値例を用いれば


「10の高評価と1の低評価」は「0」

「20の高評価と3の低評価」は「-10」

「100の高評価と20の低評価」は「-100」


このような感じになる。

数学みたいになってしまったが、要は人によって「心の作用の仕方」は違うということだ。

私の友人が抱えているような悩みは、話を聞いたり、励ますことしかできない。

ただこういった人もいるのだなと、ぜひ知って頂きたい。

知る人が増えれば、親身になってくれる人も増える。

親身になってくれる人が増えれば、救われる人が増える。

そんなキッカケになればと思い、今回はこの記事を執筆させて頂いた。

編集後記

最後まで読んで頂きまして、ありがとうございました。

今回は「評価と心の作用」をテーマに記事を書いてみました。

人それぞれ感じ方は違うよといった点がエッセンスなのですが、思いのほか「自分と他人は同じ」というスタンスで接する方は少なくありません。

私の友人へアドバイスした方のように「自分はこうだから相手もこうすればいい」といった系統のアドバイスは多いです。本人にとっては筋違いなので、そもそも助言になっていないことが多いです。

「言葉で助ける」ことが助言(アドバイス)の本質なのです。

と、偉そうなこと書いてしまいましたが、要は相手の目線や世界を知っているかどうかが入り口なような気がします。

僕自身も的外れなアドバイスをしてしまったり、わかっているような口を聞いてしまうことは恥ずかしながらあります。

それでも相手を想い、相手を知ることからすべては始まるはずです。

相手の「心の作用」を理解して、より優しい世界になっていくように、僕も発信し続けたいと思います。

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「No pain, no gain」の話

「痛みなくして得るものなし」

今日はこれをテーマにしていきたいと思う。

「No pain, no gain」という言葉は、多くの方が耳にしたことがあるのではないだろうか?

「苦労なくして得るものなし」

こう翻訳されることもあるかもしれないが、今回は「苦労」ではなく「痛み」と訳したい。

「痛み」でないとダメなのだ。

「今回は一体なにを伝えたいんだ?」といった感じに思われるかもしれない。

No pain, no gainは私がここ最近痛感していることを体現してくれている言葉なのだ。

一言でまとめると「自分が望む成長のためには痛みが必要」ということだ。

何が「痛み」となるかは人によって異なると思う。


SNSで発信すること
誰かに笑われること
人前で恥ずかしい思いをすること
誰にも認めてもらえないこと


どれも一例だが、人によっては強い痛みを感じることがある。

だが、その痛みこそが自分を成長させてくれることもあるのだ。

自分の目指すBeing(あり方)を追い求めている人ほど

実現のプロセスで何かしらの「痛み」が伴うものなのだと思う。

特に経営者やスタートアップの方にその傾向は強いと感じる。

このまま突き進んだら氷山に衝突するかもしれないけど進むことが「リスクを取る」だとしたら

このまま突き進んで、氷山に衝突しにいくことが「痛みを取る」

そう表現することも出来るだろう。

痛みを取り過ぎて、ボロボロになり再起不能となるのは避けたいが

それでも実現したい何かがあるなら、痛みと向き合う覚悟を持って突進していこう。

痛みの先にしか存在しない世界というものはきっとあると思う。

編集後記

最後まで読んで頂きまして、ありがとうございます。

今回は「No pain, no gain」という言葉を題材に、お伝えしたいことをコンパクトにまとめて記事にしてみました。

個人の成長であっても法人の成長であっても、その過程には「痛み」が伴います。

もちろん痛みを感じないような方法を探して実行していくこともいいかと思いますが、僕の経験上そういった方法はあまりないように思えます。

いわゆる「近道」「ショートカット」といったような裏技は存在しないので、結局は地道にコツコツを積み重ねて実現していくことが大切なのだと感じています。

最近ではSNSマーケティングという言葉もあるように、SNSを活用したマーケティング戦略は企業にとってはもちろんのこと、個人にとってもブランディングの観点から重要性は日に日に増しています。

僕にとっての「痛み」の一つはまさにこのSNSでの発信でした。

いわゆる見る専だった自分が、何かを発信することは「痛み」でしかありませんでした。

それでもこうやってブログを書いたり、SNS(主にLinkedInとInstagram)で発信しているのは、やはり自分が実現したい理想や追い求めているBeingがあるからです。

本当はTiktokも始めたいのですが、あまりに痛みを感じ過ぎて今は葛藤している最中です(笑)

と、痛みの大切さについて語ってきましたが、こういった痛みを一人で抱える必要はないと僕は思っています。

家族や友人などに話せる方であれば、ぜひその痛みを共有してみてください。

経営者やキャリアに悩んでいる方で身内に話しにくいのであれば、僕のようなコーチ/コンサルをしている人間に共有してみてください。

痛みを共有し、一人ではないということを感じることで、誰もが大きな成長を遂げることが出来ると確信しています。背中を押して欲しい方は、気軽にお問い合わせください。

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「完璧スタート」はないという話

「レベルが100になったらあそこに行こう!」

そんな風に考えた経験はないだろうか?

いきなり何だと思われるかもしれないが、もしこういった思考をお持ちなのであれば、意識して少しずつ捨てていった方がいい。

この思考は行動を硬直させ、いつまで経ってもその場から離れられないからだ。

RPGのゲームをプレイしたことがある方ならわかるかと思うが、主人公はレベル1からスタートする。

旅の途中、敵を倒して「経験値」を獲得し、自分のレベルをあげていく。

目的は魔王を倒す、囚われの仲間を救い出す、世界に平和をもたらすなど様々だが、旅の途中で色々な街や人との出会いが待っている。

こんなイメージを持って冒頭の文章を思い返してもらいたい。

自分が今いる街から次の街に行く必要がある。

この時、レベルを100まであげて次の街に行くことは可能なのだろうか?

理論的には可能かもしれない。

だがそれは途方もない作業であり、先に進んでより強い相手からより高い経験値を得てレベルを上げた方がよほど効率的と言える。

これを現実世界に置き換えて表現するなら、今の会社から次の会社に行く、いわば転職の状況に例えられる。

転職者のレベルが今いくつかは(ゲームと違って)わからない。

しかし、多くの人は「転職先で必要とされるスキルは持ってないから、今の場所で勉強してある程度完璧にしてから転職しよう」と考えがちだ。

これはまさに、今いる場所でレベルを100にあげようとする行為と同じと言える。

気持ちはメチャクチャわかる。

何を隠そう、私自身にもそういった時期があったからだ。完璧主義の人ほど、こういった傾向は強いようにも思える。

ここで一つ、私が新卒で働いていた頃のエピソードを少しだけ紹介させて頂きたい。

当時、私は自署内の新しいプロジェクトに興味を持っていた。しかし、プロジェクトでは英語のスキルやその他専門的な知識が要求されていたため、私は大いにためらった。

「今の自分のレベルだと足りないかもしれない。もう少し勉強してから参加しよう」

きっとそんな風に心に思っていたことだろう。

このことを先輩に話したところ、こう言われたのが印象的だった。

「そうなんだ。いつになったら尾内くんは自分に満足できるんだろうね?」

この言葉にハッとした。

まさに当時の私は自分を完璧に仕上げてから挑戦しようと思っていたのだ。

その言葉を受けてすぐにエントリーしたが、残念ながらそのプロジェクトには参加できなかった。ただ、それ以上に大切なものを得られたと実感している。

今振り返っても恥ずかしさが残るエピソードだが、完璧主義の傾向があった当時の私は「今いる場所でレベルを100まであげようとしていた」と言える。

言い換えれば「完璧スタート」を求めていた。


完璧さは自信をくれるしチャレンジしても怖くない

完璧なスキルがあればすべて思い通りに進められる


きっとこういう効果が得られて、自分を安心させてくれるものが「完璧」という存在なのだろう。

ただその「完璧」というものは存在しない。

ゲームであれば「レベル100」にすれば完璧と言えるだろうが、現実世界ではレベル上限は∞(無限)だ。

たとえ完璧さがあったとしても、誰もがチャレンジする時に恐怖心を抱くし、すべて思い通りに事を運ぶことなんて出来ない。

完璧は自分を安心させてくれるかもしれないが、それは虚像なのだ。

人によってはすぐに完璧さを手放せないかもしれない。

すぐに行動を起こせと伝えたいわけでもない。

ただ少しずつでいいから、意識を変えてみて欲しい。自分を楽にするためにも。

冒頭の「レベル100」という完璧スタートを求めてしまっているなら、「レベル80」や「レベル60」くらいまで引き下げる意識をしてみて欲しい。

次の街にいる人とのかけがえのない出会いや経験は、早く行動を起こした人だけに訪れるはずだから。

編集後記

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。冒頭からゲーム的な要素を盛り込んでしまい申し訳ありませんでしたが、わかりやすい表現を探っていたらこうなりました。

「新しい場所に進みたいけど、なんだか不安を感じる。だから今の環境で安心できるまで自分を高めよう。」

これが今いる場所でレベルを100まで上げようとする「完璧スタート」のお話でした。

完璧さを否定するつもりはありません。僕だって完璧になれるものなら完璧でありたいと思っています(笑)

ただ時間が有限である以上、それは難しいですし、何より先に進めなくなってしまいます。

恐くても、今のレベルでいいから先に進んでいこうと自分に言い聞かせるようにしています。

冒頭の言葉をアレンジしてまとめるならば

「レベル1でもいいからあそこに行こう!」

これがエッセンスになるかなと思います。

この記事が、少しでも先に進む勇気を持てるキッカケになれば幸いです。

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「フォロワーシップの大切さ」の話

学生時代の全校集会を覚えているだろうか?

校長先生や教頭先生が全校生徒の前で話すアレだ。

おそらく、ほとんどの人は小学校であれ中学校であれ高校であれ、その内容を覚えていないのではないだろうか?

私も覚えていない。

「君たちはリーダーになりなさい」という言葉以外は何も。

この言葉は、私が小学校だった時の前田校長が言っていた言葉だ。前田校長先生といった方が良いのだろうか?

おそらくわかっていたのだと思う。

何を話しても、その多くは生徒の耳に入っていかないことを。

だから前田校長先生は毎回同じことを繰り返し伝えていた。そして私の記憶にも刻まれている。

なぜこんな話をしたかと言うと、今回のテーマである「フォロワーシップ」を語る上では「リーダーシップ」という概念との対比が必要と感じたからだ。

リーダーシップとは「指導者としての統率力」や「周りのメンバーを自分なりに引っ張っていく力」といった意味合いで使われることが多い。

そして現代社会、とりわけビジネスの世界では「リーダーシップの発揮」が一人一人に求められている傾向が強い。社長として組織全体を引っ張るだけでなく、プロジェクト責任者としてメンバーを導く、役職がない人であっても積極性を発揮してチームに貢献する。

そういったニュアンスで、一人一人にリーダーシップの発揮が求められているように思われる。

リーダーシップの重要性を否定する気はまったくない。

カタチは違ったとしても、一人一人がリーダーになることはできる。

飲み会の幹事を買って出ること、新しいコミュニティをオンラインで作ること、仲間を誘って企画をすること、好きな人をデートに誘って喜ばせること

どれも立派なリーダーシップと言える。

冒頭で紹介した前田校長先生の「君たちはリーダーになりなさい」という言葉は、こういうことを伝えたかったのかもしれない。小学生にはむずかしい。

ただ、今の時代リーダーシップに並んで、いやそれ以上に大切な概念がある。

それが「フォロワーシップ」だ。

フォロワーシップを知って頂くために、以下の光景をイメージして頂きたい。


公園で1人の男性が上半身裸で踊っている


こんな人を見たらどう思うだろうか?

誰もが嘲笑するだろう。日本なら通報されるかもしれない。

だがここで少し変化が起こる。


別の男性が加わり、その男性を真似るように踊り始める


変な人が二人に増えただけに見えるかもしれない。

それでも、最初に踊っていた男性は気にせず、加わってくれた男性に踊り方を教える。

するとまた変化が起こる。


数人の男女がその二人に加わり、踊っている「集団」が出来上がる


こうなると、踊っている側は恥ずかしさを感じなくなってくる。

そして、さらに変化が起こる。


多くの男女がその集団に加わり、大勢が踊っている「輪」が出来上がる


このエピソードから何を学べるのか?

たった1人で踊っていた男性はいわゆる「リーダー」的な立ち位置だった。

もし、誰も彼と同じように踊ろうとしなければ、彼はずっと一人だったかもしれない。

だがそうはならなかった。なぜか?

それは「フォロワーシップ」を発揮してくれた人がいたからだ。

最初の男性に加わって一緒に踊り始めた2人目の男性、彼こそがフォロワーシップを発揮した人だった。

そして彼に続くように、他の人もフォロワーシップを発揮していった。

最近ではTwitterやInstagramの日常化もあり「フォロワー」という言葉は馴染み深くなっている。

フォロワーシップも同じようなものだが、言語化するのであれば「勇気を出して誰かに付いていく力」と言い換えることができる。

最初に踊っていた男性が「リーダーシップ」を発揮していたとするならば、その男性に続いて踊った人たちは「フォロワーシップ」を発揮していたと言える。

リーダーだけでは到底こんな大きな動き(ムーブメント)は起こせなかった。

フォロワーシップを発揮してくれる人がいたからこそ、踊っていた変質者はリーダーになれたのである。

話をまとめよう。

リーダーシップは確かに大事だ。

ただ、現代においてはそれ以上にフォロワーシップも大事と言える。

SNSでもコミュニティでも何でもいい。

一人で踊っている人を見かけたら、読者の方にはぜひ最初にフォロワーシップを発揮してもらいたい。

そうすれば、リーダーは心から救われる。そして大きな価値が生まれていく。

その価値の連鎖が、より良い社会につながっていくと信じている。

編集後記

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

今回は、僕の公式LINEに登録して頂いている方々に感謝の意を込めて書かせて頂きました。

僕は1月末頃から公式LINEを始めたばかりなのですが、記事投稿時点で9人の方々が登録してくださいました。

きっと中には(正直)訳もわからず友だち追加をしてくれた方もいたはずです。

そういった方々に、何か感謝を伝えられるポジティブな記事を書けないかなと思ったのが、今回この「フォロワーシップ」について書くこととなったキッカケでした。

改めまして、友だち追加してくださった皆様、本当にありがとうございます。その偉大なフォロワーシップに僕は救われ、今日も頑張れています。

公式LINEに限らず、僕の会社では「日本の中小企業を世界一に」という大それたミッションを掲げています。

まだまだ道半ばであり、基盤を固めないといけない段階でもあります。

それでも、公式LINEに登録してくださっている方や、この記事を見てくれている方、SNSでリアクションをくれる方々の応援はいつも自分のエネルギーになっています。

自分の活動に焦点をあてれば僕がリーダーと言えるのかもしれませんが、みなさまの活動に焦点をあてればみなさまがリーダーです。

僕の活動にみなさまがフォロワーシップを発揮してくださっているように、みなさまの活動に僕はフォロワーシップを発揮していきたいと思っています。

そこに見返りや心理学でいう返報性の法則は存在していません。応援したい、サポートしたいと思った方にはついていきたいと思っているので、もし何か活動されていることがあれば、気軽に僕に教えてください。問い合わせフォームでもInstagramのDMでも何でも構いません。

少し熱が入ってしまいましたが、今回はこういった想いから「フォロワーシップの大切さ」について紹介させて頂きました。途中紹介した、公園で踊っている男性のエピソードはデレク・シヴァーズ氏のTED講演にて紹介されているので、気になる方は冒頭3分くらい見てみてください。

※Youtube内で取り上げている動画は結構揺れが激しいので、酔いやすい方は注意してください。

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「虚像」を選ぶリスクの話

「虚像」とは何だろうか?

私が愛用する辞書を引いてみると、こう説明されている。

実際とは異なる、見せかけの姿

明鏡国語辞典より引用

今日はこの「虚像」について記事を書いていきたいと思う。

「ありのままの自分」でいることは自分らしい人生を送るための必須条件だ。

にもかかわらず、ありのままの自分を表現することは簡単なようで難しい。

ありのままの自分を「実像」としたら、その姿でいられる時間は1日あたりどのくらいだろうか?

人によっては、環境に応じて自分を変える「虚像」で1日を過ごす方が長いのではないだろうか?

もし「自分ひとり」だけで生きているなら、虚像になることはおそらくないだろう。

自分以外の「相手」がいて、コミュニケーションや協力をしないと生きていけないために「実像」と「虚像」の間で揺れ動くのではないかと思う。

誰に対しても実像、いわゆる「自分の素」を見せた方がいいというわけではない。

相手との信頼関係レベルに応じて自分の素を見せていけばいい。

時間や回数を重ねても「信頼できない」「好きになれない」相手であるならば、あえて虚像を選んだ方が自分のマインドのためにも良い。

ただそういった例外ケースを除いては、虚像でいることは選ばない方がいい。絶対に。

虚像を演じ続けていると、自分を失くしてしまうからだ。

私もかつて「虚像」を選んでいる時期があった。

「20代のうちに海外で働きたい」との想いを胸に、中国上海で働いていた時だ。

右も左もわからず飛び込んだ世界だったのだが、前任者が思いのほか早く退職してしまい、自分がすべてを引き継ぐことになった。

押し寄せる大量の荒波に飲み込まれないように取った手段が「虚像」だった。前任者のような言動を真似することで、既存顧客を離さないように、新規顧客をつかまえられるように、社内スタッフに嫌われないようにしていたように思える。

それを続けていた結果、自分を見失った。

必死だったとも言えるが、日本に帰って来て「本当の自分」を探すのにかなり時間がかかった。

一時的に虚像でいることはさほど影響はないかもしれない。

ただそれを何回も繰り返していると、慢性的になってしまい、かつての私のように心が苦しくなってくる。

その場限りであったとしても、虚像ではなく「ありのままの自分」でいる心がけをしたい。

人気ドラマで映画化もされた「きのう何食べた?」という作品の中でこんなシーンがある。

主人公の史朗と賢二はゲイのカップルなのだが、ある日史郎の両親から「正月に恋人を連れてきなさい」と言われる。

人当たりも良く感受性豊かな賢二はその話を聞いて感涙するのだが、ヒゲを剃るかどうかでひどく悩む。

ゲイカップルに対する理解は一般的に進んでいないのだから、その場しのぎでもヒゲを剃り、少しでもご両親に対する印象は良くした方がいいと助言する人の意見と、そんな所で小細工するよりもありのままでいた方がいいと助言する人の意見の間で賢二は揺れていた。

史朗が「そのままでいいよ」と伝えることで、結局ヒゲは剃らずにご両親に会いに行くことになる。

このエピソード内で助言していた二人の意見が興味深い。

どちらかが間違っているわけではないが、虚像ではなく「ありのまま」でいた方がいいと助言する意見に私は賛成だ。

賢二の立場に立てば、その選択を取ることによる「痛み」や「ためらい」もあっただろうが、相手にどう思われるかよりも、自分はこういう人間だと主張できる道を選んだ勇気に拍手を送りたい。

「違う自分を演じたい」

そう思うことは誰にだってあるとは思う。

自分が意図的に虚像を選ぶことは「戦略的な選択」と言える。

その一方で、相手にどう思われたいかで虚像を選ぶことは「自分を失くす選択」とも言える。

ケースバイケースと言えばそれまでだが、可能な限り、ありのままの自分でいたいものだ。

自分を失ってしまった方は、いつでも気軽に相談して欲しい。

編集後記

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。今回は「虚像とありのままの自分」をテーマに書いてみました。途中エピソードとして紹介した「きのう何食べた?」をNetflixで見返していた時にふと思い立ったのがキッカケでした。

ありのままの自分でいたいと思っても、なかなか出来ることではないと僕は思っています。かつての自分のように、周りの目や評価を気にする傾向が強ければなおさらです。

ですが、そんな時こそ勇気を出して「ありのままの自分」をさらけ出してみましょう。

100人いれば、1人だけであってもそんな自分を好きになってくれる人は絶対にいます。100人全員に好かれようとしても八方美人になり、自分を見失うだけです。

「ありのままの自分でいられているか?」考えてみたいものですね。

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「72時間の意識」の話

早いもので2月に突入している。

この記事は2月3日に書いているので、すでに2日経過している。

今月は28日にしかないが、「2月」と聞いて読者の方は何を思い浮かべるだろうか?


「2月は “28日” しかないからあっという間に過ぎてしまう月」


きっと多くの方がこのように感じている、もしくは感じたことがあるのではないだろうか?

実際、私も今までは同じように感じていた。

付け加えるなら「今年うるう年だっけ?」と考えることくらいだろうか。

ちなみに前回のうるう年が2020年だったので、次のうるう年は2024年のようだ。Googleカレンダーでしっかりチェックしたので、間違いないハズだ。

さて、先ほどの「あっという間に過ぎてしまう月」という考え方をこう変えてみたらどうか?


「2月は1月に比べて “3日” 少ないからより効率的に過ごそうの月」


雰囲気がガラリと変わる気がしないだろうか?語呂が悪いのは私のセンスのなさだ。泣

うるう年でない限り、2月は28日しかない。1月より3日少ない。

暦の上でそうなっているのだから当然というか、仕方のない話ではある。

ただそうではなく、3日分少ない(あるいは失われた)と考えることで、より充実した日々を送れるのではないかと私は思う。1日が持つ「重み」が変わってくるのではないかと思う。

3日は「72時間」に相当する。

2月の各日に割り振ったとしたら、28日計算で約2.5時間

記事執筆時点で2日経ってるので、26日計算で約2.7時間

およそ2.5時間前後を確保することが出来れば、実質31日分の時間を過ごせたことになる。

実際に毎日約2.5時間を確保するのは、至難の業だろう。

睡眠を削ってその分早起きするのはナンセンスだし、時間バンクがあるわけでもない。

ただ、日々の中に少しでも無駄や浪費と感じる時間があるのなら、それを削ってみる。

そうするだけでも、1日を少し効率的に過ごせるのではないだろうか。

ここで少し補足しておくが、何でもかんでも「効率的」に過ごそうという話をしているわけではない。

時にはゆっくり過ごす時間を持つことも大切だ。

心を落ち着かせる時間を持つことも大切だ。

私はコーヒーでも飲みながらのんびり読書をする時間が好きなので、

効率性ばかりを追求するのは正直あまり好きではない。

ただ、2月の日々を「より」充実させるという視点から言えば

この「72時間」の意識を持ってみるのは面白いのではないかと思う。

読者の方であれば、どうやってその「72時間」を確保するだろうか?ぜひ考えてみて欲しい。

編集後記

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。今回は「2月」が持つ時間にフォーカスした記事を書いてみました。冒頭でも紹介したように、2月は28日しかありません。そのため、今月はあっという間に過ぎてしまうといった感覚に襲われます。

ただでさえ時間の経過が早くなっていると感じているのに、これ以上あっという間なんて言葉聞きたくない、そう思ったことがキッカケでこの記事を書いてみました。結局は意識を変えて、時間を有効活用しようということを書きたかったのだと思います。

「何に時間を投資するか」その軸作りにもつながると思うので、日々の時間の使い方を見直すキッカケや今月を頑張るエネルギーに変えて頂ければとても嬉しいです。

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思考を横切る「アイツ」の話

アイツって誰だよと突っ込まれそうなタイトルだが、名前はわからない。

それは頭の中にいて、ふとした時に表れる。

人によって出てくる頻度も姿や形もきっと違う。

アイツだとこの先話しにくいので、この記事では「思考の誘惑」と表現してみる。

怪しげなお菓子の商品にありそうなネーミングとなってしまったが、存在していたら教えて欲しい。

今日のテーマはこの「思考の誘惑」についてだ。

とある作業をしている時、頭の中で「何か」が気になり、作業を中断して「何か」を確認する作業をした経験はないだろうか?例えば、プレゼン用の資料を作成しているのに、ふと「メール」のことが気になり、プレゼン資料の作成を中断してメールチェックを始めてしまう。

あるいは、これからある作業に取りかかろうとしていた矢先、頭の中で「何か」が気になり、そっちを優先してしまった経験はないだろうか?例えば、今から本を読もうとしていたのに、数時間前にSNSで投稿した内容へのリアクションが気になり、本はそっちのけでSNSを開いてしまう。

いずれのケースでも「急に頭の中に浮かんできて作業を邪魔しようと誘惑してくるもの」

それが思考の誘惑だ。

思考の誘惑は個人差あるだろうが、おそらく誰にでもある。

アニメに出てくる仙人でさえも煩悩まみれなのだから、思考の誘惑はそれだけ身近な存在なはずだ。

今回の記事で一番伝えたいことは「思考の誘惑に気付こう」という点だ。

思考の誘惑を完全に消すことはおそらく出来ない。が、存在に気付くだけでも価値がある。

思考の誘惑に気付かないと、本来注力すべきだった作業を中断させてしまい、生産性が圧倒的に下がることになるからだ。文章を書いている途中でSNSなど見てたら、どれだけ機会コストが発生するだろうか。文章を再度書くためにエンジンを温める必要も出てくる。

私たち人間の時間は有限なのだから、エンジンを温め直している時間などない。

そういった観点からも、マルチタスクは弊害でしかないと言える。

思考の誘惑を完全に消すことは出来ないと伝えたが、工夫はできる。

私の例で恐縮だが、一番効果があるのはスマホの通知をすべてオフにすることだ。PCでもポップアップ通知などはすべてブロックし、「思考の誘惑」が訪れるキッカケを物理的に排除する。

実際に頭の中に「やあ」と言わんばかりに思考の誘惑が訪れたら、それを認識することだ。

この存在を認識しているだけで、生産性を落とさないようにする意識が働くからだ。

もし頭の中に「思考の誘惑」たちが住みついているのなら、一度瞑想でもして振り払おう。

そして、自分が持っている時間の大切さを再認識し「思考の誘惑」の存在を意識してみよう。

少しずつでも生産性が改善・向上すれば、それだけ人生のクオリティが改善・向上することにもつながる。

「思考の誘惑」にとらわれずにこの記事を書き終えた自分をほめつつ、終わろうと思う。

編集後記

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。今回は「生産性」を向上させることを目的に「思考の誘惑」について取り上げてみました。この言葉自体は造語なのですが、もっといい表現や正式名称がございましたらぜひ教えてください(笑)

タイトルも「思考を遮る」「脳裏をよぎる」といった方が日本語としては正しいかと思いましたが、急に猛スピードで現れるイメージから「横切る」とさせて頂きました。

現代社会では情報量がえげつないことになっています。日々それを浴びている僕らには、ふとした時にその情報を思い返してしまうリスクが付いて回ります。何がリスクかは本記事を読んで頂いた方にはおわかりかと思いますが、時間を奪われるリスクです。

他人からの誘いと違い、自分の頭の中で直接誘いかけてくるので厄介ですが、自分の思考パターンを知る上でも「思考の誘惑」は役立てることが出来ます。少しでも生産性をあげたいと考えている方は、毎日意識的にアイツが出てきていないかチェックしてみてください。

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